デニム発祥とクォリティ

①岡山デニム 発祥の歴史

岡山は国産デニム発祥の地として知られています。

岡山がジーンズ作りが盛んな理由は戦国時代まで遡ります。

岡山の戦国武将、宇喜多 秀家(うきたひでゆき)による岡山城・城下町普請と同時に、

農地確保の目的から大規模干拓が行われました。

1583年のことです。


干拓とは浅い海に囲いをして水抜きして陸地にすることです。

倉敷市の児島も干拓によって作られた町で、干拓で出来た地は塩分が抜けるまでの間、田畑には適しません。

そこで江戸時代に入った頃には、塩分に強い、綿花の栽培が盛んに行われるようになりました。

江戸時代の綿花栽培をルーツとして岡山県の繊維産業は発展し、

大正ー昭和時代の頃には倉敷市児島では、学生服の生産が盛んになりました。


しかし戦後に入り合成繊維の登場や学生服の需要そのものが低下し、岡山の学生服生産は苦境に立たされます。

そんな1950年頃、日本では米兵が残していったジーンズなどの衣料が中古品として出回り人気を博していました。

戦中において綿製品は贅沢品であり、戦後には人々の羨望の対象となっていたのです。

そこで学生服不振で伸び悩んでいた児島の綿花を使った二次産業は、学生服だけでなく、ジーンズを作りはじめました。



②かっこいいジーンズに必要なもの。

それは良質な材料や美しい折り目はもちろん、インディゴ(藍)による色合いや、ヒゲやアタリと呼ばれる色落ちです。
岡山デニムのクォリティーはこうして生まれました。
瀬戸内海を挟んだ徳島県の伝統工芸「藍染」。
隣県、広島県の伝統工芸「絣(かすり)」。

岡山県から近い徳島県と広島県が良質なジーンズを作るために必要な技術を伝統的に持っていました。

藍染の技術はジーンズのフィニッシュ工程である染め・洗い加工に応用されジーンズの特殊な染めが可能になりました。
「かすり」という技術はダメージ加工、ヴィンテージ加工などに応用され、ジーンズに高い付加価値を与えました。
岡山デニムを語る時、まず忘れてはいけないのがクオリティへのこだわりです。
江戸時代から綿を中心とする繊維産業で栄えてきた岡山。
受け継がれる伝統の技を大切にしながら、常に新しい技術の開発と高品質なデニムが作られています。

岡山デニムとは、単に岡山で生産されたデニムというだけではありません。
染め・織り・縫製、すべての製造工程においてクオリティにこだわり、岡山の職人の手によって生み出されるデニムこそ、本物の岡山デニムと言えるのです。